アルコバレーノ-arcobaleno-について

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虹画像

~その“愛おしさ”には訳がある~
アニマルヴォイス・メッセンジャーの岡田亜希です。
アルコバレーノとは、イタリア語で「虹」という意味です。

虹のように動物と人との架け橋として、また虹が、どんよりとした気分になりがちな雨の、 その後に見せる清々しさ、心地よさを感じさせるように、セッション終了後には、 オーナー様とパートナーちゃん(ペット、動物)とが深く繋がり、そして感動を提供したい と思って名づけました。

アルコバレーノでは、単に動物たちの心の声を代弁するのではなく、彼らの気持ちを伝えることを通して、 オーナー様とパートナーちゃん双方が理解し合い、より幸せな関係を築けるよう心がけています。

「この子と出会えて、本当によかった」
そう思えるような深くて、温かい関係づくりのお手伝いを、是非アルコバレーノにさせて下さい。

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プロフィール

アルコバレーノプロフィール画像
★名 前 岡田亜希
★住 所 香川県高松市
・特定非営利活動法人社会動物環境整備協会認定
   ドッグライフカウンセラー
・一般社団法人日本アニマルウェルネス協会認定
   ホリスティックケア・カウンセラー
・株式会社シャンドゥルール認定
   フラワーエッセンス花療法士
・動物愛護啓蒙団体ブリッジ・ハート 役員
・高松市動物愛護推進委員(2015年4月~2019年3月)

人生-暗中模索

私の人生は、決して順風満帆ではありませんでした。

家庭環境には恵まれず、家は私の体を置くだけの場所。それでも、体を置けるだけマシだったかもしれません。

それ故、常に人生の意味、幸せになる方法を探してきました。

  • どうしたら幸せになれるのか。
  • 何のために生きているのか。
  • そもそも、何故この世に生まれてきたのか。

長い間、自問自答してきました。方程式のように、どこかに正しい答えがあると信じ、本を読んだり、 セミナーにも参加したりしてきました。
ですが、なかなか答えは見つかりませんでした…

愛犬との出会い

私は、今は亡きシーズー犬の「ちろる(享年17年)」と暮らしていました。

私が生まれる前から犬がいて、犬と共に成長してきました。動物好きはその時の経験があったからだと思います。
犬との暮らしが当たり前でしたが、子育てというのは、ちろるが初めてでした。

ちろると出会い、寝顔を見ているだけの、その安らかな時間に至福の時を感じさせてもらえる事、命のぬくもり・温かさを体験させてもらいました。
同時に殺処分の事、野生動物の絶滅危惧、減少の事も知るようになりました。
私はちろるに、いろんな気づきと、癒しと、愛と…様々な事を経験させてもらいました。だから、私も動物たちに何かしたい!
そう思い、何ができるか、何がしたいか、探し始めました。

私の人生は、愛犬ちろるに導かれたといっても過言ではないと思います。

法律の限界

私は約10年間、法律事務所で働いてきました。
多種多様な人間が集まり生活していく中で、一定の秩序を保つために「法律」は欠かせない重要なルールです。それをないがしろにする訳ではありません。
ただ、一方で法律に限界を感じもしました。 法律が幸せへと導いてくれるとは限らないからです。
例えば、加害者に極刑が下され、刑が執行されたとしても、それが遺族にとって満足な結果であったとしても、 幸せになれるのか… 刑事事件だけでなく、民事・家事事件においても、同様です。

人生では思い通りにいかない事もあるでしょう。
仕返ししたいという怒り・憤りに掻き立てられる事もあるかもしれません。
ですが、それを理由にして、被害者意識にずっと浸って相手を責めてばかりいて、果たして幸せになれるでしょうか。
幸せとは自分自身の「心」が決めるもの。「心」でどんな状況でも幸せになりえる。
私はそれを知りました。

そして、以前から抱いていた、動物と関わる仕事をしたいという思いを抑えきれず、退職し、 アニマルヴォイス・メッセンジャー(アニマル・コミュニケーター)の道に進む事にしました。

幸せの種

「自分の心が幸せを決める」という事、それは実際に体験してみると、もはや確信に変わりました。
今まで、同時進行して何かをやる事、特に仕事においては、それが「できる女」、かっこいいと思ってきました。
実際、法律事務所に勤務していた頃は、大変忙しく、けれどプライベートの時間を確保して早く帰宅しようと、常に同時進行していました。 毎日へとへとだったのを覚えています。

そこに少し変化を入れてみました。
小さな事、それも私にとってはほとんど重要視した事のない、それどころか大して気にも留めた事のない、食事中と入浴中に「~ながら」を止める事でした。 テレビや雑誌、郵便物を見ながらはもちろんの事、他の事を考えながら食事、入浴するのを止めました。
すると、体が喜び、とても満たされている感覚に包まれました。
「足りない」のではなく、もうすでに「満たされている」
そんな感覚でした。
それは、とても幸せで、自分に繋がった、涙あふれるような感覚でした。

そこから流れが変わりました。
気づきは加速的に増えましたし、その気づきの深さも深まりました。
奇跡的な事が続くようになりました。 もちろん、人がそれを奇跡と呼ぶかどうかは分かりません。ですが、それを奇跡と呼べる-その感覚の方が大切だと私は信じています。

何よりも、日々、心穏やかで満たされている、幸せを感じて過ごせているのです。
今まで、「これがあれば幸せなのに…」、「こうなったら満足なのに…」という条件を追い求めていたと思います。
ですが幸せは自分の外にはありません。条件が揃ったら幸せになるのではありません。
その事を実際に体験してみて、私の幸せをつかむ事ができました。

ここに辿り着くまで、決して平坦な道のりではありませんでした。散々もがき苦しんできました。
だから、「そうはいっても、どうしたらいいの?」という感覚も分かります。

私と一緒に幸せを探してみませんか?

窓辺から差し込む光

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